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美ナチュラルになるまで

こんにちは! (有)美ナチュラル、ミロビーナの木川です。

今日は、美ナチュラルという会社が、ミロビーナというブランドを立ち上げるまでのお話をしてみようかなと思います。

前回はこちら 始まりは、アロマティックライフ魔法の石鹸

前回お話ししたように、今の美ナチュラルという名前は、2011年に改名した新しい名前。

その前の会社名は、2003年創業、アロマティックライフ木川。

会社設立と同時に始めた楽天市場店は、アロマティックライフ魔法の石鹸という店名でした。

父が会長、私が社長という事で始めて、「効果のあるもの」「100%ナチュラル」にこだわり、いろいろ紆余曲折もありましたが、徐々にお客様もついてくださり、アロマティックライフ魔法の石鹸の看板商品だった、魔法の石鹸シリーズが、毎週楽天ランキングで連続1位を獲得し続けるなど、とても順調な店舗運営をしていました。

そういえば、当時の楽天ランキングシステムは、今のようなデイリーランキングや、リアルタイムランキングがなくて、週間ランキングだけだったので、毎週木曜日の発表の日が待ち遠しかったのを覚えています。

実はその頃、今のように石鹸がそれほど市民権を得ておらず、洗顔は洗顔フォームが主流。石鹸で洗顔をする人は少なく、なんと、楽天に洗顔石鹸のジャンルすらなかったんです。

そんなある日、楽天ランキングに洗顔石鹸のジャンルを発見!

当時のアロマティックライフ魔法の石鹸の担当に聞いてみたら、魔法の石鹸たちがあまりに売れているので、新しく洗顔石鹸のジャンルを創設したとのこと!

当時は、石鹸はお肌を荒らす、だから、お肌の優しい洗顔フォームじゃないといけない!などと、間違った情報が公然と言われていたのですが、

石鹸とは本来お肌を健康に導き、

また、成分分解がされず水を汚し、生物たちに悪影響を与える合成界面活性剤を使わなくても作れるため、(中には使っている石鹸もあるのでご注意を)、環境を汚すことが極力少ないものなんです。

その、石鹸に対する間違った考えを違うよとお伝えしたり、

魔法の石鹸シリーズを使った方のお肌が(ほとんどがそれまで洗顔フォームでした)、一気に明るくなったり、ざらつきやすかったのがすべすべになって見違えたといったような、感激の声が殺到したことで、加速度的に売れて行っていたのでした。

また、オープン当初は多くの方にも知って欲しくて、大量にサンプリングを行い、またちょくちょく大きなセールも行っていたので、それも販売数が伸びた大きな理由の一つでもありました。

実はその当時のアロマティックライフ魔法の石鹸は、どれも送料無料。そんなお店は、他にもなかったのですが、そのためには当時楽天市場のどこを探してもなかった、宅配便による手渡しではない、安価な配送方法、例えばメール便や郵便定形外でのお届けという方法を取り入れ、

始めての方でも安心してご利用いただけるように、後払い決済を取り入れていました。

2003年ごろはまだ、代引きか前払いが主流でクレジット決済もあまり普及していませんでしたが、ネットショップでお客様から見た一番のネックは、やはり送料と支払い方法だと思いましたので、極力、その負担が少なくなるように考えたのでした。

当時は石鹸しか販売していなかったので、こちらが負担する送料もそれほど大きくなかったですし、当時は家族経営で人件費も極力抑えていたのでできたことではありました(笑)

今、思い出しましたが、その当時、後払いという支払方法は、未払いの可能性があり危険性が高いから、店舗は極力採用しないように、前払いのみで対応するように、と再三注意を受けていました!

お店の人と会ったこともない、仮想店舗という実態がよく分からない店に対して、前払いなんてちょっとお客様に失礼というか、図々しいのではないかと思って、その連絡はいつも無視して、当時は、とにかく後払い決済&送料無料で頑張ってました!

ただ、送料計算は緻密に行わないとだめですね。

だんだん、資金繰りが厳しくなるなどして、ある時、会長からの提案で250円の送料をいただくことにしました。

その代わり、商品の値下げを行いましたので、結局あまり経営内容は良くならなかったと思います。当時そのあたりは会長の父に任せていたので、ハッキリとは覚えていないのですが・・・。

経理も経営も何も知らず、販売だけしていた私は社長とはいえ、実質的にはただ、店長業務を行っていただけだったわけなのです。

父も元々は営業や開発畑出身なので、お金の使い方はかなり「?」で、それほど新規開拓や設備投資には興味がなく、私が彼の当初の予想以上に良く売っていたし、良く仕事をしていたことで満足で、それが永遠に続くと思っていたという感じでした。

なので、私が思い描く新しいジャンル開拓や顧客獲得の新しいシステム導入など、まったくといっていいほどできずに、長年過ごすことなってしまっていた訳なのです。ここは本当に後悔というか、今でも残念に思っている部分ですが、仕方ありません!

とはいえ、その後、石鹸以外の商品、月桃化粧水やセサミシリーズ、ハーブサプリなど、運よく素晴らしい製品に次々と出会い、品ぞろえも、売上も充実していき、たくさんのお客様が喜んでい下さっていました。

ただ、アロマティックライフ魔法の石鹸での商品選びは、かなり厳選します。

そう簡単に新製品発売!できないですし、結果、毎日、毎年同じことを繰り返しているだけという感じになって、店が少しずつ勢いを失っているのを、実は感じ不安もよぎることが増えていました。

洗顔石鹸も当時は一人勝ちだったのが、どんどんライバルに追い越され、いつの間にか50位にも入らなくなって、そうすると、無理な大幅割引セールを行って、何とか売り上げを確保するといった、かなりまずい状況に陥ってしまっていたのでした。

そこに現れたのが、今のオーストラリア人の副社長。それまでいろいろな経験をしており、経理や経営に関してはかなり詳しい人材。また前回書きましたがIT関係にも精通。

そんな彼が、アロマティックライフ木川の財務状況や経営状況を見て、「Noriko、このままだとあと2年で潰れるよ!」

それが、2009年頃の話でした。

会長を説得して、経理を彼に移譲し大幅な改善を行いました。

その時は数人のパートさんたちを雇っていましたが、雇用形態を一新。新しく従業員を募集し、給料も見直しを行い、実質的に時給を上げることにしました。

そして、発送センターの引っ越しを決行。

当時は私の実家のすぐ前の、ふる~い一軒家を借りて、ちまちまと行っていた発送業務をすべてやめ、新しく、今度東京オリンピックのゴルフ会場(霞が関カントリークラブ)の最寄り駅になる、笠幡駅のすぐそばにビル、ひなたビルの1室を借りて、そこにすべての商品を置き、発送業務を行う事になりました。

電車で通ってくるスタッフもいたので、彼女のためにも駅から3分のそこのほうがいいという、副社長の判断もありました。

それまでの一軒家の家賃は、ほとんど無料みたいなものだったので、会長は移りたくなかったようですが、耐震構造的にも心配な建物でしたし、床は斜めになっていたり、私としてはホッとしたのを覚えています。

これを気に、会長はそれまで行っていた発送業務を引退し、経理と経営だけを見ることに。今後は、若い人に…と思った節があります。

そこから私たちは、それまでのゆる~い家族経営からの脱却を図り、ビジネスとしてそれまでほぼ整備されていなかった雇用条件も含め、会社として構築を順次、始めたといってもいいと思います。

当時、妹や母も従業員ではありましたが、業務時間はフルタイムなうえ、お休みも土日だけ。それも忙しい時には残業をしてでもとにかく早く発送をしてお客様を待たせない最高のサービスをしたい!と燃えていました。

その結果、手首が痛くなったり、肩こりが異常なほどになってしまったり・・・発送担当の母も、70歳近かったですし。

でも、そのやり方は長続きしないから、即やめるべき。というのも、副社長の新しい考え。

現在の美ナチュラルでは、できるだけ速やかに発送を行うように努力はしていますが、当日発送を行わず、2~3営業日以内に発送をしますというお約束は、このあたりに起源があるんです。

長続きさせる、つまり、当時からそれまでの当社にはあまり考えがなかった「サスティナビリティ」という考えが持ち込まれていきました。

それからは、次々と持続化、サスティナブルを意識した改革が行わました。

それらがある程度進んだ時に言われたのが、

「アロマティックライフ魔法の石鹸も、アロマティックライフ木川も変えるべき」

でした。

確かに、私はもう離婚してましたから、木川という実は、前夫に配慮した意味もあったその名前を使う必要性はなくなっていたし、だいたい長くてあまり気に行ってなかったし(笑)、店舗名も、今や魔法の石鹸はランキングに入れないし、石鹸以外の製品もしっかり揃っているし・・・。

その後は、とにかくどこにいても新しい名前をどうするかで、悩みに悩みまくって、ようやくたどり着いたのが、シンプルかつ、当社の思いや願いを体現できる

「美ナチュラル」

という言葉。これだ!と思いました。

思い出すと、そのワードは電車に乗っていた時、ノートにいろいろとアイディアを書いていたのですが、そこで浮かんだ言葉でした。

やっと納得いく名前が決まって、楽天市場の手続きも終え、いざ2011年8月8日。

ページデザインも一新し、新装オープン!

ところが・・・

この2011年3月は東日本大震災が。

メールも不通になったり、商品も確実に届けることができなかったり、何より、日本人の心が大きく傷ついていたりと、華々しく新装オープンするには、タイミングが間違っていました。

ここが待てない私の強引さの結果だったかなと、反省しています。

そして結果は、反省してもしたいないほど大変なことに・・・

震災後の大きな落ち込みは減って回復傾向だったのに、名前を変えた途端、売上が半分以下に・・・。

毎日たくさん来てくださっていた顧客様も、その後ぷっつりご来店がなくなり・・・資金繰りが急激に悪化!

そこから、それまで秋の時代だったのが、・・・本当の冬の時代に突入したのでした。

ということで、続きはまたまた次回に!

今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました!

ではまた。

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