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かわいそうだけでは守れない。鹿肉を食べて考えたこと

こんにちは。

いつでもノーファンデ、ミロビーナ、のんこ店長です。

鹿肉?とお思いになったあなたさま。

ちょっと考えさせられることがあったので、お話したいと思いました。

こちらは、いきなりのスピンオフになりますが、番外編として読んでもらえると嬉しいです。

熊問題。真っ二つな世論

去年の熊騒動では、特にSNS界隈で世論が真っ二つに割れましたね。

一説では、母熊というものは、どの動物よりも子供を大切に育てる最高に愛情深い動物であったり、本来は臆病で柿を食べたら静かに立ち去る個体も少なくないなど、あらゆる情報が駆け巡りました。

ですが、その反面、母熊は子熊を守るために凶暴になることもあり、実際にあちこちでクマによる襲撃もありました。

「人間に害を与える動物は駆除一択!」と叫ぶ人たちと、

「熊がかわいそう。」
「熊は山を守る神に等しい存在だ、保護すべき!」

と熊の立場に立つ方々が、ネット上で激しく言い争いをしている姿もたくさんありました。

どちらの意見も間違いではないので今でも平行線が続いていますね。

頂点に立つ者の「責任」に気づく

私は、駆除一択ではなく、殺さず共存できないかと考える立場です。

熊が山や森を守る大切な役割を果たしているのは、間違いなく事実です。

「九州は熊を全滅させたけれど、自然は豊かなままだ」

というコメントも見ますが、そもそも、人の都合で自然界の頂点に立つ動物を絶滅させて良かったのか、という倫理的な視点がそこにはなく、ただ人間の傲慢さが際立って見えていて、苦々しい気持ちになることも少なくありませんでした。

いつも言っていますが、地球は、人間のためだけにあるのではなく、私たち人間も自然の一部で動物はもちろん、虫や植物、微生物たちと気づかぬうちに助け合い、共存しています。

目に見えない事を、おろそかにしてきた私たちは、どんどん傲慢になり、今、たくさんのしっぺ返しを受けてしまっています。

そもそも、人間は自然界の頂点に立っている存在です。

だからこそ、責任を持たなければいけないのに、そのことに気づいていない人が多すぎます。

ですが最近、そうしたことに疑問を持ち、人は自然界にお邪魔している存在だと訴える方たちが増えていて、それを心から応援したいと感じています。

鹿肉に初めて触れたとき感じたこと

鹿がテーマだったのに、熊さんの話ばかりでしたが、いよいよ鹿についてのお話になります。

今回、私のパートナーが長野の佐久穂の農業地帯に古い家を買い、現地の方々と仲良くなり、なんと新鮮な鹿肉を500gほど頂いて帰ってきました…

ええ、初めてのジビエです!

凝った料理を作ることは皆無の私は、当然ジビエを調理したことはありません。初めて目にしたんです。

こわごわ触ってみると、みずみずしく弾力があり、すぐに新鮮で良質だと分かりました。

その瞬間、私はあの可愛い鹿がお肉になってしまった・・・という悲しみではなく、

この素晴らしいお肉を、いかにしておいしくいただくか?に気持ちが向きました→。

結果、シンプルに塩で焼いたり、シチューにしたりしただけでしたが、これが、驚くほどおいしかったのです!!心も体も喜んでいました。

酒と塩で簡単に臭みを焼いて、焼いただけ。鹿肉は高級食材なんですよね。
とても新鮮で美しい鹿のお肉でした。

「命をいただく」に違和感

命をいただく。という言葉をよく聞きます。

ひねくれ者の私は、この言葉には違和感があり、キレイ事過ぎる気がしてしまうんです。

あらゆる動物の中で抜きんでて縄張り意識が強く、他の動植物を絶滅させてでも自分たちのために、彼らの住みかを徹底的に奪い取る性質を持っている、それが私たち人間という動物です。

自然界の動物たちは、生き抜くために狩りをし、躊躇なく殺し喰らう。

まず前提として、私たち人間も、生命としての自然で残酷な欲望をしっかり持っている。

そのことを見ないまま、「感謝」というきれいな言葉だけで表してしまうと、そこにある残酷性はかなり薄まってしまう気がするのです。

命をいただく。

確かにその通りでどこも間違っていません。

でも、私たちは「生まれながらの残酷さ」を宿命として持っていることに気づくことは、実は意外と大切なことなんじゃないかと思うのです。

命をいただくという感謝は、自分の中にある残酷性や、動物としての本能を認めたうえで、初めて成り立つものではないかと思うのです。

私たち人間も生きるために残酷な面を、間違いなく持ち合わせているのです。

可愛い鹿が自然を壊している現実

話がだいぶそれてしまいましたが、ここからは鹿の自然破壊についてお話したいと思いますので、あと少しお付き合いくださいね。

現在リノベーション中の佐久穂町の古民家から、30分ほど山を登ると約5万本の白樺が美しく群生している、涼しい気候の八千穂エリアに到達します。

そこには八千穂高原自然園があり、そこを訪れて知ったのが、「今や自然を破壊しているのは、鹿だ」、という事実でした。

自然園にはあちこちに鹿よけの柵が設けられていましたが、皮が食べられて枯れるのを待っているだけの木があったり、実際に枯れてしまっていたり、また、貴重な植物が食べられてなくなってしまったものもたくさんありました。

衝撃でした・・・

また、自然園に貼られていたポスターにも衝撃を受けました。

エリアによっては、鹿によって豊かにはぐくまれていた高山植物がすべて食い荒らされて、今ではただの岩がむき出しで、土すらなくなっている写真があったのです。

増えすぎた鹿たちが、今や、自然をものすごい勢いで破壊しているのです。

農地を荒らす損害も大きいですが、それ以上に可愛い鹿たちが、自然を破壊し、他の動植物にも大きな影響を与えている…。

最初に書いたように、人間は自然を管理する義務があると思っています。

熊や鹿を撃ち殺すことは、残酷なようですが、彼らの数をコントロールすることは、私たち人間の役割なのだと気づきました。「可哀そう」だけではだめなんだと。

殺すこと=残酷=悪

という、通り一遍の価値観では測れないものがそこにはありました。

殺すことは残酷ですが、必要だったのです。

そして、その残酷性そのものが自然の摂理・・・。

現在、年間4千頭の目標狩猟数を大幅に下回る2千頭しか、狩ることができていないそうです。

そのことで、鹿がハイペースで増えていると。

熊は危険だから殺せ。
いや、そんな残酷なことは許されない。

そういう二極の問題ではなく、自然と向き合うには、もっと冷静な視点が必要なのだと思いました。

今回、鹿肉をいただき、八千穂の自然園で鹿の食害を知ったことは、私にとって大きな気づきでした。

鹿を殺すという残酷な行為が、「自然のバランス」を「自然に保つ」行為でもあり、

そして、その責任と役割を担っているのが、私たち人間なのだということです。

あなたさまは、どのようにお感じになられますでしょうか?

八千穂高原自然公園はこちら

八千穂高原自然園の白樺林。ガイドさんに詳しく教えてもらいました。
右も白樺の木。鹿に幹の皮を食べられてしまい、弱っています。このような木が何本もありました。

動画でも解説しています

今回の内容は、動画でも簡潔にお話ししています。
まずは全体像を知りたい方は、こちらもご覧ください。

🌿57歳店長 美容医療やってる?シリーズ

  1. 美容医療やってる?と聞かれた話
  2. 番外編|シカ肉を食べて考えたこと
    ※以下のページは順次公開してまいります。
  3. 57歳の褒められ肌はノーファンデが作った ※順次公開
  4. ファンデをやめるときの葛藤 ※順次公開
  5. これでファンデをやめられた ※順次公開
  6. ファンデをやめて、楽になったこと ※順次公開
  7. お肌のために避けてきたこと ※順次公開
  8. ケミカルは絶対ダメなの? ※順次公開

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